kototamanomanabi’s diary

❤️「古事記と言霊」著者島田正路氏の講義を聞き、講義を自分なりにまとめた記述です

コトタマとコトダマの違い

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弘前公園の紅葉 © mko294 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(表示4.0 国際)https://creativecommons.org/licenses/by/4.0/

 

コトタマと言いますと、

往々にして一般の書店に行くと、

言霊という題名の本が、

ズラッと、大きな書店なんか行くと

20冊くらい並んでいます。

そこに書いてある事を

パッと目を通して見ますとみんな

ふりがながふってあって、

全て、「ことだま」となっています。

「ことだま」と書いてあるものと、

島田氏が言う「コトタマ」は、

似ているようで、全然違うものでございますので、

よくご承知おきいただきくださいませ。

この言霊の学問(フトマニの学問)と申しますのは、

今の歴史学者にお話ししますと

「目ん玉飛び出してしまうほど、怒る」ことかと思いますが、

大体、一万年も前に日本の大先祖の方が、

長い月日をかけて大勢の方が、

ちょうど、今の科学文明の学問は、

大体人類4000年前から今日まで積み重ねてきた学問の成果が

今、こうやって科学文明の社会を作り上げていますけれども

昔も何千年もかかって、

大勢の方がこの古事記の謎々で説かれています、

アイウエオ50音、フトマニの学問、

昔の言葉で申しますと、

「コトタマノマナビ」と申します。

コトタマ=マナ

コトタマの事をマナと申しますので、

マナの言葉としまして、マナビと言います。

これを発見し、自分の心の中に発見して、

完成した学問でございます。

その時のフトマニには、

あくまで、濁点がつかない。

コトタマと申します。

コトダマではございません。

例えば、今の日本語にある。

船の底を「ふなぞこ」と言います。

「ふなそこ」とは言わず、

「ふなぞこ」と言います。ここに濁点がつくのです。

これは、船の底と言う意味で用います。

コトのタマだとコトダマとなりますが、

島田氏が申し上げている

コトタマはそう言うものではなく、

人間の心を際限なく分析していって、

これ以上分析すると、意味がなくなってしまうと分析した結果、

50の要素で人間の心ができていると言うことが

わかりまして、その50の要素。

アイウエオの一つ一つと結びつけて、

一つ一つをコトタマと名付けたのです。

言葉であると同時に「タマ」=心であるもの。

コトタマと言うのは人間の心の最小の要素なのです。

今、現在の方がブームになっています言霊と申しますのは、

島田氏が言っている言霊のほんの一部の心をおっしゃってるにすぎません。

ですから、「コトダマ」ということになりますと、

「オトタマ」ということになりうるものであります。

音の心、音の内容。

ところが、コトタマというものは、言葉の内容ではございません。

心と言葉の最小単位

これは、そのことに慣れませんと、

「言葉の魂」と「コトタマ」は、

同じように聞こえるかもしれないのですが、

全く違うものでございますので、ご承知おきくださいませ。

この言霊の学問が佳境に入って来ますと、

なんのことかわからないということになってしまいます。

一番大切な事なので、いわゆる、

島田氏がいう、50の言霊を全部説明を終えた時

半分は、50の言霊を

どう心の中で操作していくと、

人間が立派な精神を持ちうるかと言うことに

取り掛かることになります。

昔の日本の神道には、

神様の前に紅白の2段の鏡餅をあげる習慣がございます。

これは、神様に召し上がってくださいと言うふうに

お供えしているものではないのです。

上の、お供えが50のコトタマを表します。

下の50は、その操作方法を表します。

上の50音と、下の50音の操作方法を合わせますと、100の原理。

100の原理が出てきます。

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昔は、原理と言う言葉は使いませんので、

その100の道、上を「モ」、下を「チ」と言います。

100の道が、私たちが拝んでいる神様なんだよと、

習慣付けたのです。

神様は何も食べません。

小さいお子様には、

神様に食べてもらうんだとか

仏様に食べてもらうんだとか

ご先祖さまは、匂いを吸って食べるんだよと

教えたものです。

でも、そう言うことではないのです。

もうすぐ上の段の説明が終わり、

下の段の説明に入ると思いますが、

言葉の魂と言いますと、

言葉の魂の整理法と言うものは、

何がなんだかわからなくなってしまいます。

コトタマとは、「50の心と言葉のが一緒になった最小単位」で

人間の心はいかされているのですから、

その人間の心の持ち方をどう言うふうに変更していったら

最終的な結論を申し上げます。

眉唾をしてお聞きくださいませ。

そんな事が人間にできるのかと思うような事を言います。

上記の「モ」「チ」の原理。

これを目にしたいと思いましたら、

伊勢神宮に行って、

内宮、外宮の中に、八咫鏡と言うのが祀られています。

八咫鏡と言うのは、八角形。本当はヤアタノカガミなのです。

ヤアタと言うのは、人間が人差し指と中指をパッと開いた面積の事を

ヤアタと大昔は言いました。そして、八つのアタで出来ていると言いまして、

これは、100の原理を立体的に見たときに八角形の形になりますので

八咫鏡と言います。その、原理を作るには、

どのように自分の心を形づけているのか、

自分の心の中で、配列し直して行ったらその心になるのか

そして、その配列し終わったら、どんな事ができるのか、

この学問の最終結論なのです。

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HP(コトタマ 宇宙・生命より)参照

 

どう言うことができるのかというと、

ただ一人座っていて、

何もせずに、世界の事がわかる。

どう言うふうに処理をしたら、

人類が平和で豊かな世界を作っていけるのか、

可能にする心の持ち方なのです。

昔の神代文字の「イ」と言う文字は、

人間が座って、正座している姿勢が「イ」で表され、

言霊「イ」で表され、

神様の名前で申しますと「伊邪那岐大神」を表し、

この「伊邪那岐大神」と同じ境地の人間の事を示します。

こういう方が、次から次へと出て来まして、

歴代の皇の尊に成られました。

今から、2000年前、

崇神天皇という方の前の天皇までは

そう言う、天皇であったのです。