kototamanomanabi’s diary

❤️「古事記と言霊」著者島田正路氏の講義を聞き、講義を自分なりにまとめた記述です

天之御中主神(あめのみなかぬしかみ)とは、言霊「ウ」の事

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美山かやぶきの里 © rikky_photography クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(表示4.0 国際)https://creativecommons.org/licenses/by/4.0/

 

初めて言霊の学問を学ばれる方にとっては

自分の心の中に、何かが起こる時と解釈しがちなのですが

自分という名の現象で、自分というのは実は、

実在ではないものなのです。

今、ここではこういう姿をしているというだけで、

自分とは何かと言うと、姿を一生、現さないものなのです。

自分とはどう言うものを見る時、目で見て、触ってみて、

言っている事を聞いてみると言うのは、

全て五感の感覚に触れた自分なので、

五感の感覚に触れると言うことは、

心の現象にすぎないのです。

言霊学とは、自分の心の道を見る勉強になります。

物質化学の万能な時代に生まれているので

目に見えるもの、肌に触れるものなど、

全部実在するものだと思い込んでいます。

科学というものは「緑というのは、なんで、これが緑なのか」

と言って調べるのが科学になります。

その為、ここに見えるものは実在するものでなければなりません。

言霊の学問の教科書である「古事記」の神話では、

「天地の初初(あめつちのはじめ)の時、高天の原に成りませる・・・」

と始まり、ここからして、目に見える、天地(あめつち)ではありません。

目には決して捉えられることのできない自分。

天地(あめつち)=心の宇宙なのです。

自分というものと宇宙というものは、どういう関係にあるのかということが

よくわからないと、「古事記」の神話の初めの章で言っている。

天地の初発(あめつちのはじめ)の章に出てくる、

17の神様と聞いても、どう言う神様なのか

17の言霊と言うのは、どう言うものなのか

わかったようで、わからない。と言うことになってしまいます。

「天地の初発(あめつちのはじめ)の時、

高天の原に成りませる神の名は、天之御中主(あめのみなかぬし)の神」

これは、人間の考えでは思慮も及ばないほど広い宇宙。

何千万光年、何億光年と言うすごく広い外界の宇宙。

それと同じ広さを持って人は生きています、その宇宙の始まり。

天之御中主(あめのみなかぬし)の神は、その宇宙の真ん中にいて、

全ての現象の主人公である。

人間の心で言うと、

どう言うことなんだろうと言うことが

掴めていないとよくわからなくなります。

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現実の人間が朝起きてから、夜寝るまでの心の動きは

言霊に出てくる100の神様で全て説明がつきます。

この100の神様から成り立たないと言うことは、一切ないのです。

「天地の初発(あめつちのはじめ)の時、

高天の原に成りませる神の名は、天之御中主(あめのみなかぬし)の神」

言霊「ウ」と言うものをよく掴んでいると

あとは、スラスラわかってきます。

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新倉山浅間公園(忠霊塔) © 富士吉田市 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(表示4.0 国際)https://creativecommons.org/licenses/by/4.0/

各民族の神話は全て日本から伝わったものです。

ギリシャ神話、インド神話、中国神話、北欧神話などなど

全ての元は「古事記」と同様の神話で成り立っています。

竹内文書には、何千年も前に、その時代、その時代の

ウズメノミコトが何十年もかけて、世界を巡航してまわり

その土地、その土地にあった精神的にあったものを

神話として各地に伝えたと記載しています。

神話を全て集めると全て同じことが記載されていて、

それを辿っていくと、どこから、どこへ行ったのだという事がわかります。